彼はやはり

天才だったのですね、というゆわれかたをしてみたいもんよ。いや伏線は張ってきたつもり。要所要所で残してきた爪痕がそろそろ実を結んでもいい頃、なわけはないか。爪痕合戦で勝っても爪痕は爪痕にしかならず、爪だけがボロボロのまんま路傍の石と成り果てる。そんな将来が見えます。見えません。ウーバーイーツのひとたちはあれ一生の仕事として考えてるんだろうか。そういうとこがすごい気になる。

うちの窓辺は窓辺と呼ぶにふさわしい、きらきらと優美な曲線で部屋の一辺を縁取っている。というのも、うちの部屋はあの横浜ランドマークタワーのような、先に向かって細く斜めになっていく包丁みたいな、作りの悪い小舟みたいなかたちをしていて、その直線部と対角にある曲線部がぜんぶ窓なのだった。足元にいい具合の縁が飛び出していて、本を並べるのにちょうどいい。今もこれを書きながら目の前の本の並びを眺めていたら、中学一年の頃にはやった「チャリ走」を思い出した。あのときまだ、スマホは普及してなかったね。iPod touch(懐かしい)がそのあと何年かして出現して、これだけたくさんの機能が使えるのに自分は音楽にしか興味がない、ということに対しておそろしさと、どこか優越の混じった苛立ちみたいなのを感じたことを覚えている。しかしあの金属丸出しでターミネーターの世界から来ましたみたいな塊を携帯電話として持つのは少し大袈裟だな、という気もしていた。それが今やこんな必需品みたいな顔で全世界の人間のポケットに忍ばされてあるなんて。普及したい。要するにiphoneのように普及したい。それだけが今の願い。