僕は村上春樹になれない

今日18時ごろ渋谷を歩いていたら20代前半〜半ばくらいの男二人が突然「この辺でオススメの居酒屋ってあります?」と話しかけてきた。正直「調べれば?」と思ったけれど地方からの旅行者の可能性もあるなと考え、だったら気のいい村人Bを演じてやらないでもないなと「旅行っすか?」と尋ねてみたら「いや、東京なんですけど普段この辺で飲まないんで」とのこと(しかも『いやちげえよ舐めんな』的雰囲気が少しあった)。この時点で相当意味がわからなかったのだが、仕方なく行きつけの生ビールが安い店の名前を伝授。すると返って来たのが

「どっちの道行けばいいんですか?」

いやスマホ使えよ、である。もうなんかイライラしてきて首の後ろをさすさすし出す僕だったが、奴らそんなこともお構いなしに「居酒屋とか結構行かれるんですか?」「お兄さんお酒強そうですよね」「もしかして九州とかの出身ですか?」とその後もうっっっっすい会話を続けてくる。僕も僕でさっさと切り上げれば良かったのだがその時点では戸惑いの方が大きくなんか真面目に取り合ってしまい、気づけば大学を休学しているという軽い身の上話に及んでいる。対して黒いTシャツを着た顔の特徴ゼロの方が「なんかご自分でされてたんですか?僕けっこう海外とか行ってたんですけど」と謎のマウンティング。このあたりから限界が来て「ええまあ」みたいな曖昧な返事しかしなくなっていたら流石に察したのか中途半端な感じで解散。体感30分くらいだけど実際5〜10分かなあ、ほんとなんだったのだろう。

 

しかし驚くべきことに、東京にはこういう「なんの必要があるのかわからないけど突然話しかけてくる人」というのが稀に存在する。以前中目黒のスタバでコーヒー片手に作業をしていたら30代半ばくらいの女の人が「ここってパソコン使っていいんですかね?」と何故かアゲアゲな感じで聞いて来た。いやスタバにある図書館っぽい長机タイプの席でパソコン使っちゃいけない可能性が見えないし、聞くにしても側にいる店員さんに聞けよ、と思う。あとは彼女と二人で立ち飲み屋で飲んでいた時に話しかけて来た若い男女(つっても僕より年上だったからたぶん30手前)。まあ飲み屋だからオープンな気分になるのはわかるし一杯奢ってくれたからいいけど、普通は連れと二人で楽しむもんだと思うよ? あからさまにイチャイチャしといて「まだ付き合ってはないよね〜」みたいなワケあり感出すのが「あっそう」って感じでなんかウザッたかった。全く本当になんなんや。なんなんやなんなんやキミたちは。

 

「別にいいだろ」ともう一人の自分が言う。確かにそうかもしれない。なにせここは大都会TOKYO、いつどこで素敵な出会いがあって、人生どんな風に転ぶかもわからない。だから細かいことは気にせず、コミュニケーションの窓口は常にオープンにしておく。それがベストなのかもしれない。

 

けどな、とワイは言いたい。お前ら絶対、普段はそんな感じじゃないでしょ。今日の二人組にしても見た目はイモだし話もつまんない、けど海外留学とかは行ってる。スタバのおばさんも別に全然いい女じゃないんだけど格好は小綺麗だったしスタバでラップトップ広げるくらいには仕事とか充実してるわけだ。立ち飲み屋のカップルに関しては、もうわっかんねえ。とにかく大学生にしろ社会人にしろ、東京には「オープンな感じの層」というのが存在していて、必ずしも「オープンじゃない層」との住み分けができているわけではない。殊に留学組やスタバでラップトップ広げる系の業界においてはその二階層が緩く繋がりながら一つの世界を形成しており、後者は前者から溢れ出るキラキラ感にコンプレックスとか感じてそう。かなり偏った想像だけどね。で、今回挙げてる人はみんなどっちかっていうと後者でしょ。ステータスありみな人々が展開する「人類皆兄弟」的世界観に憧れてる方の人でしょ。

 

つまり何が言いたいかというと、「街で知らない人に話しかけて『コミュりょくある自分』みたいなのを演じるのって割と病んでるよね」ということ。本当に道がわからなくて困っているとか、旅行でテンション上がってて地元の人と話したいとか(まあ渋谷だけどな)、孤独なお年寄りとか、そういうのは別。そうじゃなくて、東京のヒエラルキーの真ん中あたりで疲弊している人が僕の前で「不必要なコミュニケーションを楽しめる人」というその場限りの人物像を演じるのを見ているのって、結構キツいっす。だって意味わかんないもん。知らない人に話しかける意味が。ナンパとか有名人ならわかるよ? でも僕は一般人だし、話しかけて楽しくなりそうな感じはしないと思うんだよね。「目つき悪い」って言われるし。だからもうなんか、「こいつの前だったらイケてる自分でいられそう」って思ってるとしか思えない。そしてそういうのは病んでると思う。別にめっちゃ嫌なことを言われたわけではない(今日の二人は若干失礼気味ではあったが)し、明らかな“社会不適合者”というのでもない。だが僕はそういう“普通の人”こそ一番病んでいて、狂っていると思うのだ(そして人間のそういう部分への興味に執着してしまう)。自分の道を歩もうよパンピー。知らん人に話しかけてないで本とか読もう? 好きな音楽聴こう? 空の写真とか撮ろう? “繋がり”欲しいならtwitterやろう? 「好き」と「共感」で繋がろう? 合コン行こう? もういっそスタバで働こう? まあなんでもいいけど、とにかくプライベートな場面で所構わず知らん人と会話できるのが「粋」ってことにはならないんで。お互いに暗黙のコンセンサスが生じてこその「粋」なんで。まあそういう意味では確かに東京はルール無用だけど、一人飲みとかライブみたいな「場」が共有されているか、少なくとも見た目が相当お洒落じゃないと通用しないと思うで。

 

とここまで書いてもやっぱ自分心狭い感が拭えない。村上春樹が好きだからかな。彼の小説ではそんなに美人というほどでもない女の子が話しかけて来て極めて自然な流れで寝たりするから僕みたいな奴はダメなのかも知んない。そもそも家族ですら食事中に話しかけられるの嫌いな人間だからな。まあでもいいや。僕は僕自身の人間観を培っていきます。

 

<終>