紙の雑誌は異国の街

最近雑誌欲がものすごい。もともと書籍を前にすると節約中枢が麻痺してしまうので本の衝動買いなんてのは今に始まった事ではないのだけれど、雑誌はまずい。なぜなら女性誌とか、サブカルっぽいファッション誌とか、自分に直接関係のない情報まで綺麗に見えてしまうからだ。なんだろう、やっぱり写真と短い文章の組み合わせの威力はすごいね。平積みになってる色とりどりの山の中からダイレクトに、僕の形而上アンテナをぶち抜いてくる。別に何か知りたいことが明確にあるわけじゃない。なのに、そこにはやはり「何か」があるような気がしてしまう。手に取り、開く。飛び込んでくる文字や写真は、それぞれ独立の「コンテンツ」としての文脈をきっちりと保持しながら、他と被らないよう個性を保ちながら、緩やかな連帯感で美しく結ばれている。なんて心地いいんだろう。まるで名前だけしか聞いたことのない異国の街で、見たこともないくらいの絶景に、次々と出会っているみたい。テキトーに読んで、パラパラとめくっているだけでも楽しい。WEBメディアって今どれくらい力を持っているのか正確にはわからないけど、このワクワク感には勝てないだろうな。コンテンツ一個一個の主張が強くて、それを見る側が好きに選べるっていうのもまあ便利なんだけど、作り手によって「編まれている」感は紙の雑誌の方が強い。やはり、物質として残るからだろうか。自分が遅れた人間だからだろうか。とにかく魅力がすごいです。

今日は中目黒の蔦屋書店で「STUDIO VOICE」と「CYAN」を買いました。ノンフィクション/ドキュメンタリーがテーマの前者は普通に面白いし、創作欲をそそられる(『見ようとすれば、見えるのか?』というコピーも良い)。だがより注目なのは後者。女性誌なのに、表紙に文字が全然ない! ブラッドオレンジ的な色の表紙の中央に、小さめに新木優子の写真。それだけで目を引いたし、一発で「買いだな」と思ってしまった。テーマは「AUTUMN GIRLY MOOD」という関係ないofないなんだがそれでもいいです。女性のメイクとか、アクセサリーの魅力をライターさんがどう表現するのか、その勉強ということをもってだらし無い衝動買いの言い訳とさせていただきます。